ライブドア論考 社会は祭り上げて梯子をはずす

週刊!木村剛でもとりあげていたが、世論の代表と称する第二の権力たるメディアは、常にニュースというドラマを求めていると感じる。まさに劇場型国家論である。ニュースの火種の、可否は司法の判断にゆだねるところであるが、ときにヒーローたるものが、祭り上げられ、何か失態があれば、その違法性の正否、レベルに関わらず、うってかわってこきおろすのである。元旦そうそうの木村剛氏も、その1つであろう。(元竹中ブレーンがこんな事をしていると)

これはメディアが、発生する前から、世の常として世論にあった日本人の悪癖だとも思うが、マッチポンプのように、それを増幅しているのがメディアであると思う。ただ、報道という錦の御旗をかざしているだけに、自らが権力をもっていることの自覚と、十分な自浄作用が必要と思う。間違ってお詫びしたって、メディア自身は何も痛くないのだから。

裁判所の判決文の中で加害者は十分に社会的制裁をうけているという、心証的な、配慮を裁判という公正の場に持ち込むのが、常であるが、いつからマスコミは社会的制裁を与える権力、役割をもったのだろうか。更に、私にはよく、しくみが理解できていないのが国会の承認喚問である。国会は立法たる権力であって、せっせと、立法に励んでいただければよいと思うのだが、その時期の疑惑の人を呼びつけて、つるし上げるのは、何か前近代的な拷問のようにも感じる。

今日は特にお伝えするニュースはありませんという、新聞、TV報道があってもよいのだと思う。

誰かが言っていたが、正義を語るときは小さな声で?でやってほしい。

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木村さん 全く同感です

木村さん:2005.12.15 ゴーログ]お上に任せていたら偽装問題は起こらなかったのか? のコメントに全くもって同感です。問題はすべて官が悪いという国民意識こそ構造改革すべき隠れた抵抗勢力かもしれません。市場原理、競争原理にゆだねるから問題なのではないのです。ついでですので、本問題に関し、さらにコメントするならば、もはや、現代社会のインフラたるシステムは、人のコントロールを越えたものにあると考えます。監査、検査、品質保証等のあらゆる産業で人為的しくみを改善する限界と思います。東証、空港等のシステム障害が発生すると被害の経済的ロスの大きさと同時にシステムを過労死のような開発環境で設計しているSEに同情の感もぬぐえません。

マイクロソフトは機能向上とかセキュリティ強化といって、バグがあっても頻繁にバージョンアップを繰り返し、それが新しいOSとしてビジネスになっているのに対して、それと同じくらいの機能のつまった携帯電話でバグが存在しないわけがありません。損害賠償訴訟の抗弁権ではありませんが、事実が「あった」という証明は可能ですが、「ない」という証明は原理的に不可能と同じように、バグが「ない」とは証明(保証)できないものです。

となると、バグ前提のコントロールがときどきできないシステムの上に、現在の社会インフラは成り立っているという前提でのリスク管理こそ重要になってくると思うのです。
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木村様ご紹介お礼 欠陥マンション買い論補遺

木村剛様、本ブログの紹介3度目で光栄です。事件を投資ネタにしたのは不謹慎であることはいささか反省なのですが、木村さんのブログに投資の逆説の視点を述べたかったのが投稿の主張の1点ですが、もう1つ読者の皆さんに考えてほしいかったのは事件には必ず、社会的背景があって、それは何でも国の責任で許さない、再発防止、援助しろといわれる国とは結果としては国民であることである。国って必ずしも悪徳官僚という訳ではないでしょう。何でもかんでも国のせいっていうのは疑問を感じるし、国が行政裁判に敗訴すると、喜ぶ人は保障金を貴方が払っていることに気がついているのでしょうか。

そうだったらリスクを買う投資家にお金をだしてもらう逆説が、両者満足のwin&winかとも思った。

システム不具合でも再発防止でも事件が起きるたび、行政規制の緩和に反比例して、組織の内部規則ばかり増えて息苦しくなってきた。木村さんはお好きかもしれないがコンプライアンスには正直な会社はジョージオーウェルの予言のような内規をどんどん作って、本業の仕事をする以上の業務と化している。

最近、読んでいる不正競争防止法は、世相を反映して法改正の連続である。コンプライアンスのお好きなに一読をお奨めする。この11月に法改正を反映して出版されたばかり。

逐条解説 不正競争防止法〈平成16・17年改正版〉
経済産業省知的財産政策室
有斐閣 (2005/11)


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欠陥マンションは買いどきのチャンス

逆説ではないが、もし貴方が、投資を考えているならば、今の買いは欠陥マンションと考える。投資の基本はリスク管理、リスクの逆期待値の明確化であろう。週刊!木村剛でいくつかの将来起こる事象の期待値計算をしていたが、まさに、買いの根拠はそこにある。震度5の地震で倒壊、死亡するリスクはどれくらいなのか。耐震性の完備したまっとうなマンションも震度7以上だったら、リスクは飽和して同じであろう。家屋に関して考えれば建築基準法改正前の住宅に住んでいる方はどれくらいいるのだろう。

という点で、不安な日々を送られている欠陥マンションを買うという投資家の方がおられたら、守銭奴ではなく、篤志家として、感謝されると思う。堀江さんでも村上さんでも、プロの方も検討されたらいかが。世論の評価も変わるでしょう。

投資に関して個人的な見解の基本はゼロサムである。もうかった方は損をした方からお金をいただいているか、未来から借金しているかのどちらか又は両方である。とすれば、投資に興味があるならば、他人が売るときが買いどきであるというのは基本原則だろう。

被害にあわれている方には、深刻な話で、自宅だってどうなのかわからない他人ごとではなく、もし、気分を害されたらお詫びだけしておきたい。

もう一点欠陥マンションの件で感じたのは、投資用語的に比喩するならばレバージでしたっけ。要は自分の資金以上の投資取引ができてしまい、大もうけできたり、破産したりするのと同様に、構造設計という、聞く限り小さな金額の案件が、欠陥としてはとんでもなく大きな金額の負債として、住民を中心とする関係者に波及するということだ。私はリバタニアリズムに賛同するほうなので、国の援助は心情的にはなんとかしてあげたいとは思うが、国の援助は賛成=国民の税金反対というパラドックスを忘れてしまう世論にもいささか疑問をもつ。

私は資金と、定職を放り出してまで、それを実施する手間暇がないので、うまい話を公開することにしたが、その気になった方は自己責任でお願いします。

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従業員の”市場価値”再考 岩井克人氏著再読

従業員の”市場価値”再考

本ブログでも紹介した東大経済学部長 岩井克人氏の会社はこれからどうなるのかを再読した。補足的感想を書いてみたい。

岩井氏はこの本の巻末で次のような主旨のまとめを記している。

日本の会社のコアコンピタンスとは、カルチャであって、他社より比較優位にある技術そのものだけでなく、経営環境の変化に応じて適応できる、経営者の企画力や技術者の開発力や労働力のノウハウといった”特殊組織的”人的ネットワークにほかならないと記している。

平たく言ってしまえば、従業員は会社という組織に属し、その中の人的ネットワークで働いているうちに、その会社でのみ役立つ”固有”の能力が求められ、その能力と協力でアウトプットをだしていく。これが日本の会社である。

他方、よその会社でも通用する社会人になれという、会社用語もある。これは明らかに市場的価値を持てと理解できる。

レビュアーの私見は日本の労働市場はもっと流動的であるべきと考える。米国での勤務経験がその背景にある。ある企業でのプロジェクトが失敗しても、そこの従業員が他の会社で、そのスキルを生かして別のプロジェクトが成功できれば、技術者の人的資産は会社ではなく社会レベルでは有効に活用され、マクロな視点では個人にも社会にもハッピーであろう。このサイクルが好循環すれば、余剰人員を社内で活用できずにいる会社も、スキルの生かせる行き先のある従業員も問題と不満が解消する。これはまったくのところ米国流の風土であり理屈であろう。

どちらが正しいのかと再考して、雑文を書き連ねてみたが、経済、政治、思想、どんな組織もオープンである事が存続の大きな条件になっている事は間違いない。

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木村剛様 お礼

blogB2
木村様 本ブログ2度目のご紹介ありがとうございます。本業の株主総会でご多忙のところ、毎日、ブログ更新には頭が下がります。今後のご活躍期待しております。

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週末のテーマ

平日はビジネスの本の紹介をしていますが、週末はジャンルフリーで書きこんでいきたいと思います。こちらもよろしくお願いします。

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幻のレコードショップ

Lady Day: The Best of Billie Holiday
Billie Holiday
Columbia/Legacy (2001/10/02)
売り上げランキング: 9,205
通常24時間以内に発送
おすすめ度の平均: 5
5 ビリー初期の代表作を集大成
5 キング・オブ・ジャズ・シンガー

 幻のレコードショップ

オフシーズンの軽井沢銀座をデッサン画にしたような商店街の裏のパーキングの角に、そのショップを発見した。中古レコードショップである。中古レコードショップ探しを趣味としていると、どこの街でも店の在り処が動物の嗅覚のように身についてくる。(正確には、レコードを聴くのが趣味であって、店を探すのが趣味というわけではないのだが。)ショップに入ると商店街の静けさから一転、学生客で賑わって喧騒感にあふれていた。ショップは学生を客層としており、どこか懐かしく雑然としていた。そして私は中古CDやロックのレコードには目もくれず、店の奥へとJAZZのコーナーへと足を運んだ。BlueNoteがあった。このショップは掘り出しものに間違いない。そしてついに捜し求めていた50年代の10インチ盤の数々を埋もれていたレコード棚の中から発掘した。おそらく今の学生達の興味をひかれずに、長い年月の間、デッドストックとなっていたに違いない。こうして私は幻のレコード店に邂逅したのだった。シュリーマンと比較するほどの歴史的事件ではなく、一個人の人生の1コマとして。

JAZZやレコードに興味のない方に顛末や薀蓄を語るのは気がひけるが、その店はニュージャージー空港から1号線を1時間ほど車で南下したプリンストンの学生街にあった。マニアの心情としてはこんな情報を公開するのも惜しいほどだ。米国に住んでいた時、旅先で時間があればレコードショップを探しまわった。ニューヨーク、サンフランシスコ、ロスアンジェルス、ニューハンプシャーからラスベガスまで。足をかけて探し回ってわかった教訓は“レコード屋は学生街にある”。レコード店は大学付近を探せ。考えてみるとそれは東京でも同じだ。中古レコード屋や古本屋は高田馬場や御茶ノ水のような学生街に多い事に気づく。これは世界共通の学生サブカルチャだろうか。

10インチレコードは電蓄時代のSPレコードの後に生まれ、LPレコードの誕生とともに姿を消した。マスターテープからおこしたメタルマザーのプレス数が少ないからなのか、盤質の材料がよいのか、理由は諸説あり、薀蓄はキリがないが、とにかくオリジナルレコードファンには音がよいとの定評がある。生々しい鮮度と臨場感。もっともCDのほうがLPより音が良いに決まっていると思われている方々には、これは主観と好みの問題なのでと弁明する他ない。

日本ではあれもこれもほしいものばかりだったが、米国で暮してみて、ショッピングモールにでかけても欲しくてたまらないという物欲がなくなった。洋服も日本ではブランドをアピールして売り出している服も、スーパーの衣類コーナーの値段だ。それはそれで不満のない環境だが、そこには国の歴史の短さに起因するような物足りなさも感じた。そんな中で10インチレコードだけは別物だった。

 日本に戻り、時折、ベランダから青空を眺め、破けそうなジャケットからそっとラグタイムピアノ盤を取り出して、オルトフォンの針を落す。住んでいた米国は50年以上昔だったような錯覚を覚える。

かつて夢を見た事がある。店がある。店に入るとそこには自分の探していたコレクターズアイテムに満ち溢れていた。それは幻ではなかった。貴方にも尋ねたい事がある。心に一軒、幻の店を持っていますか。幻の店は必ず見つかる。
 
PS.一度だけJAZZ評論家の故油井正一先生と同席する機会があった。恥ずかしながら、スキなJAZZ歌手はビリー・ホリディだと打ち明けた。センセイも最初は良くわかなかったよと答えてくれた。

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木村剛様 BLOG of the Weekありがとうございます

kimu-blog2

木村剛様 BLOG of the Weekご推挙ありがとうございます。


私のビジネス・経済書評ブログでは木村さんの本も忌憚なく、レビューしておりますので、失礼がありましたら、お詫び致します。

ご推挙いただいた堀江氏の本に関しては、失礼ですが、私のレビュー基準のボーダーラインの部類でしたので、何とも複雑な心境ですが、レビューを評価頂いたと、勝手に解釈させていただきます。

ビジターの皆さん:木村氏の推薦もいただいたブログですので、内容はお墨つきです。

ビジターの皆さんと共に、学んでいきたく、
今後ともよろしくお願い致します。

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アンティークとインテリアと経済

アンティークと経済の関係の考察

市場の商品は購入され、消耗または使い古されると、廃棄またはスペースがある時代と空間ではストックされていた。中古になると固定資産としての価値は下がり、公の査定値もゼロになっていく。ところが、この商品が長い年月を経てアンティークになると、価値は向上する。つまり新品から中古品を経てアンティークという横軸が年数に対して価値はいわゆるスマイルカーブ(右と左が大きく、真ん中が小さい)を描く。

アンティークに価値が発生する理由はまずは市場の中で数が希少である事がすぐに思いつく事であるが、それは視点を変えれば長い年月の間、複数の所有者によって次の世代に継承されてきたストックの経済原理のように思える。もちろん、希少であれば何でも価値がある訳ではないし、廃棄されずに残ってきたのは、そのモノに本質的な価値をあった事は間違いない。

さて、先回のAmazonマーケットプレイスに代表されるような、昨今の中古、リサイクル市場はスマイルカーブの価値の低い段階でフローの経済として、機能していると思われる。

リユーズは商品にとって幸せであるが、リサイクルと称して、バラバラの材料に分解されて、別の商品に生まれ変わる商品は果たして幸せであろうか? 私が最初に購入したカメラはLEICAという高級カメラの中古品で生まれは1958年と50年前の製品である。もちろん、オーバーホールはしているが、現役である。

エンジニアとして製品を市場に送り出していると100年後には20世紀後半から21世紀前半の高度消費社会の物的証拠となるような製品は博物館にも残らないのではないだろうかと思ったりする。この時代に生きた人々に製品を通してサービスを提供しただけで、あとは姿を残さない。それは生命でも同じではあるが、幾ばくかの疑問は残る。

考察は以上である。 本考察を読んでただいた方には興味のない話題であり、恐縮であるがアンティークを普段の生活に使用してのインテリアとして飾って楽しんでいるブログを紹介させていただき、結びとしたい。

            古玩礼賛 ―骨董・古道具―
骨董から古道具まで日常生活の中のモノの美しさを紹介します 


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