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ライブドア論考 社会は祭り上げて梯子をはずす

週刊!木村剛でもとりあげていたが、世論の代表と称する第二の権力たるメディアは、常にニュースというドラマを求めていると感じる。まさに劇場型国家論である。ニュースの火種の、可否は司法の判断にゆだねるところであるが、ときにヒーローたるものが、祭り上げられ、何か失態があれば、その違法性の正否、レベルに関わらず、うってかわってこきおろすのである。元旦そうそうの木村剛氏も、その1つであろう。(元竹中ブレーンがこんな事をしていると)

これはメディアが、発生する前から、世の常として世論にあった日本人の悪癖だとも思うが、マッチポンプのように、それを増幅しているのがメディアであると思う。ただ、報道という錦の御旗をかざしているだけに、自らが権力をもっていることの自覚と、十分な自浄作用が必要と思う。間違ってお詫びしたって、メディア自身は何も痛くないのだから。

裁判所の判決文の中で加害者は十分に社会的制裁をうけているという、心証的な、配慮を裁判という公正の場に持ち込むのが、常であるが、いつからマスコミは社会的制裁を与える権力、役割をもったのだろうか。更に、私にはよく、しくみが理解できていないのが国会の承認喚問である。国会は立法たる権力であって、せっせと、立法に励んでいただければよいと思うのだが、その時期の疑惑の人を呼びつけて、つるし上げるのは、何か前近代的な拷問のようにも感じる。

今日は特にお伝えするニュースはありませんという、新聞、TV報道があってもよいのだと思う。

誰かが言っていたが、正義を語るときは小さな声で?でやってほしい。

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Tracked on January 24, 2006 at 01:19 PM

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