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「三島由紀夫」とはなにものだったのか 橋本治が斬る

「三島由紀夫」とはなにものだったのか
橋本 治
新潮社 (2005/10)
おすすめ度の平均: 4
4 「電波男」に感銘を受けた人に勧めたい。

世界のミシマなる天才作家、三島由紀夫を斬る
レビュアーは三島の良い読者ではない。文章はうまいし、名声は高いが、古典のような敷居があるし、単的に言えば、義理で読むほどの好みではなかったからである。本書は天才ミシマを天才、橋本治が毒舌でどのように斬るのか、という意味で橋本ブランドで、立ち読みなしで購入した。

さすが、橋本さん流の複雑な事情により、文学全集の三島の担当を頼まれても、興味ないからやだ、と断り、文芸誌の三島特集で、義理で書き始めた、100枚の原稿が、続編、続々編と膨れ上がって本書の完成に至ったという経緯で上梓された。

橋本氏の三島への第一印象も、それこそ文学的ともいえるが、正直にはなんだかわからない形容詞を書き連ねた表現に、現実性を感じず、違和感をもったと記させている。橋本氏の才能は、興味ないもの、自分は関係ないもんと言いながら、その客体を抜本的に、全く、文芸評論家の引用なしで、自分の言葉で考察する点が魅力である。

単的に本書の結論は三島氏は、確かに戦後の日本の天才的知性の持ち主であったが、それゆえか、現実を私物化して、閉じた幻想文学にしてしまう。それは同性愛であり自己愛であり他人不在の思想であり、その袋小路が、不可解な四谷のクーデター決起による割腹自殺というセンセーショナルな形で、自分の人生の幕をおろさねばならなかった。

卑俗的なエピソードとしては友人の編集者が、三島邸の補修工事で見たアポロ像がチャチで驚いたという話に橋本氏は、そうだと思っていたと記し、また、三島氏が文学全集の選考委員だったときに、松本清張氏をいれることを強く拒んだことが、本書の骨子をうなずかせる一端だった。

橋本氏一流の結論展開は三島とともに戦後文学は終わったでなく、21世紀が始まったと結ぶところだろう。

文壇とはつきあいがなく、桃尻娘流あけぼの草子にはじまった古典の再評価が、地道に源氏物語や平家物語の現代訳や日本美術史の再構築を手がけている橋本氏の仕事が、正当には評価されていなかったが、タイトルに三島の名前がついたせいなのか、本書は小林秀雄賞受賞という、文壇も評価せずにはおられなかった力作といえよう。

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Tracked on December 15, 2005 at 12:15 AM

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