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正しく生きるとはどういうことか―自分の欲望を上手に解放するための22章

正しく生きるとはどういうことか―自分の欲望を上手に解放するための22章
池田 清彦
新潮社 (2001/08)
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5 人にはのたれ死ぬぐらいの自由がある
5 思っても見なかった視点を得た


人にはのたれ死ぬぐらいの自由があるーリバタリアニズムー


のっけから、池田氏の云いたい放題、脱線ありの、よく考えるとその通りの毒舌のとりこに引き込まれていく。池田氏はビートたけしと小学校がほぼ同期というから、共通する江戸っ子の血があるのかもしれない。本のタイトルが良くなかったのか、正当に評価されていない、後世に残る名著である。主題は一般的通念の「正しい」生き方という倫理・宗教・原理主義に基づくものではなく「自分の規範(ルール)」を元にいかに「よく」生きるかの提唱である。

池田氏はもともと構造主義生物学の大学の先生で大のカミキリ虫好きの少年。ご自身の学問を学者の意見など耳を傾けず、独学で法律や思想を学ばれたのか不明であるが、専門の構造主義生物学をベースに思想を展開し、全て自分の言葉で考え、凡百の学者を越えた、自由主義を唱えている。池田氏のオリジナルの自由主義論は結果としては社会学・経済学ではリバタリアニズムと呼ばれる思想に分類される。

”人々が自分の欲望を解放する自由(これを恣意性の権利と呼ぼう)は、他人の恣意性の権利を不可避に侵害しない限り、保護されねばならない。但し、恣意性の権利は能動的なものに限られる。”

わかりやすく言えば、人は誰かを好きになる自由・権利はあるが、誰かに好かれる権利はない。ボランティアで助けえを求めている人に手をさしのべる自由・権利はあるが、その行為に対して感謝される権利はない。そこを混同して教師の資格をとるために「ボランティア」を義務づけした文部省の対応に池田氏は激しく批判をしている。

それに対する批判ぶりは”人はボランティアなどしないで,ハナクソをほじりながら朝から酒を飲んでいる自由がある。”と痛快である。

これらの国家が国民を倫理的生活への誘導するお節介を”パターナリズム”と呼ぶらしい。

そのおかげで、このあたりを履き違えている世の中の若者も”大きなお世話、俺の自由”と屁理屈を言う。理屈がわかっていない若者には学校で、この本を道徳の教科書につかって教えてあげてほしい。非倫理的な倫理の教科書であろう。
PS 「週刊!木村剛」投稿

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