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「科学者の楽園」をつくった男―大河内正敏と理化学研究所

「科学者の楽園」をつくった男―大河内正敏と理化学研究所
宮田 親平
日本経済新聞社 (2001/05)
売り上げランキング: 79,614
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おすすめ度の平均: 4.67
5 今の研究者が一番行きたい場所
4 日本科学の黎明期を支えた理研と科学者たち
5 日本科学の黎明期を描く。素晴らしい本


今の研究者が一番行きたい場所

長引く構造不況の中、日本の製造業は次々と研究所を解体している。そして研究者は研究所という自由闊達な楽園を終われ、今日の糧を稼ぐ商品開発部門へと異動させられている。例えば、青色LEDの発明のため、松下電器の研究者は日亜化学の中村氏と同じ材料に目をつけて研究を10年続けた。言いかえれば松下には研究者を10年養う資金力があったわけだが、10年目に中止の命が下り、研究者は大学に転籍したとの事だ。明治維新後、日本人は全てを見よう見真似で欧化政策を図り、軍隊を作り、憲法を作り、資本主義の基盤を作った。そのような明治人の気骨は科学でも発露された。それが本書で紹介される理化学研究所である。ビタミンの鈴木梅太郎、KS鋼の本多光太郎、そして物理学者の仁科芳雄、朝長振一郎、湯川秀樹と面々たる人材がこの研究所から輩出されたのだから、驚くほかはない。三代目所長の大河内正敏は他の大学に在席する研究者にも研究テーマに自由に予算をわりあてる裁量権を与えた。
21世紀の現在、研究所は自分と査読者しか読まないと揶揄される論文を量産する研究者の既得権の組織へと硬直化し、それが研究所の解体やIBMの提唱するIPDのように”研究への資本投資から利益回収までのライフ”で研究をマネージメントされるものに変貌させられたもう1つの理由であろう。まさに現在の研究者から見れば理化学研究所は”楽園”と言えよう。理研は終戦で解体され、民間企業になったものの一つが食品会社のわかめの”リケン”である。またその後、理研は国立の研究所(今は独立行政法人)として復活し、現在も存続している。大河内氏の死後、彼の遺志を継いだ記念会が生産科学の業績に対して「大河内賞」を贈呈し、”大河内”の名前を残している。確か同姓の女優さんがいたが、姪子さんだったと記憶する。

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