先生はえらい 内田 樹

先生はえらい
先生はえらい
posted with amazlet on 06.06.18
内田 樹
筑摩書房 (2005/01)
売り上げランキング: 46,611
おすすめ度の平均: 3.64
5 生徒や先生はもちろん、親御さんにぜひ読んでいただきたい
5 大人ですが、目からうろこが落ちました
3 ちょっと冗長。読むのがしんどい。

コミュニケーションにおける「わかりあえない」幸福


内田先生のエッセイは評判どおりの書きっぷりだった。中高生の読者を対象としたわかりやすい平易な語り口のスタイルで、ラカンの哲学という難解なテーマををあえて、要約してしまうのではなく、わかりにくいまま論じている。このわかりにくさを伝えることが自体が「先生はえらい」というテーマの答えを示すところになっている。

さて、先生は何故えらいのかといえば、学ぶということが全く、生徒という主体の主体的行為であるがゆえ、先生がえらいとは、同義反復にほかならないと理解した。すなわち、生徒が誰かに学ぶ価値をみつけたとき、その人はえらく思えるし、先生に値すると思うのである。

本書の記述でいえば、先生は、まさに白馬の騎士とは正反対に、学ぶ意志のある生徒の前に浮かびあがる者である。本書の「先生」と「弟子」の関係は、上下関係だけに限定されるものではなく、そのまま水平方向のコミュニケ-ション論につがる。内田先生のコミュニケーション論に従えば、コミュニケーションは、まさにお互いの手探りのボールの投げ合いであり、誤解のキャッチボールである。本心をうまく吐露することができたという満足感が得られたとき、実は、相手の逐次の反応に応じて、相手が聞きたいことが語られていたのだというパラドックスのがあることに気がつく。

要約してしまうならば、コミュニケーションはわかりあえない限り続くことができる幸福である。一方が「わかって」しまったとたん、コミュニケーションは終わってしまう。誤解の続く限り、幸福は先送りで持続するといえようか。

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トゥルーデおばさん 諸星 大二郎

トゥルーデおばさん
トゥルーデおばさん
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諸星 大二郎
朝日ソノラマ (2006/02/23)

換骨脱胎の実践

諸星大二郎氏の久しぶりの新作は、グリム童話の諸星異聞といった内容。残酷なもう1つのグリム童話の焼きなおしでは全くない。文字通り、諸星氏の手によって、グリム童話が換骨脱胎されて、新しい作品として生まれかわったという表現が似つかわしい。

おもうに、諸星氏がメジャーにならないのは、氏特有のペンタッチとともに、内臓が流れ出ていくような、これは幻想文学であれば特異なことではないのだが、曖昧模糊たる描写とストーリー性にも理由があるように思える。

諸星氏の作品はまさに、どろりとした内臓そのもので、その作品が成り立つためにはフォルムが必要とされる。
デビュー時の暗黒神話にせよ西遊妖猿伝にせよ、オリジナルから全く別の作品として生まれるためにも、諸星氏の作品には本家どりのオリジナルが不可欠なのではないだろうか。

荒俣宏氏の幻想文学評論によると、作者とストーリーのオリジナリティというのは,全くもって近代の幻想であって、
近世以前の物語は、作品のオリジナリティはないと断言でき、すべての伝承・物語が常にそれ以前の物語の本家どりだという。

まさに、諸星氏の著作活動は荒俣氏の理論を支持するにはふさわしい。

そんなことはともかく、せめて諸星氏の作品が、もっと上梓されないかと思うファンの心である。

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普段着の住宅術 中村好文

普段着の住宅術
普段着の住宅術
posted with amazlet on 06.05.04
中村 好文
王国社 (2002/04)
売り上げランキング: 33,369
おすすめ度の平均: 4.83
5 やはり10坪は必要か
5 建築が好きになる本
5 ヒヤシンスハウス

美しい普通の生活

現在、住宅建築の達人といえば、文句なく、中村好文氏であろう。カリスマという敬称はふさわしくない。実に、子ども心をもったまま、大人になられた人柄が著作や設計された住宅から伝わってくる。昨今の住宅事情を考えると、建築家に家の設計をお願いすることなど、限られたクライアントのできることと思いこんでいたが、普通に暮らすために、細部にいたって、最大限の気配りを図るこの建築家の思いを読んでいくと、自分の思いを家に具現化してもらうという事が決して、特別な事ではなくて、普通に暮らしをしていくことの延長であることと納得させてくれる。

そう。最大限に、個人的にこだわりをもって、全く、普通に暮らすこと、それはより良く生きようとする方には優先順位の高いことである。趣味を極めことも快適に暮らすことも最後は空間に行きつくと思われる。音楽にせよ、美術にせよ、食べることにせよ、最後はその行為をする人を包み込む箱としての家という空間の問題に帰着する。

かつ、美術品ではなく、使いこんでいく普段使いの道具としての家は、その機能性を追及したところの美しさを常に備えているものだと思う。その一例は、中村氏も大好きなシェーカースタイルの家と道具であり、中村氏が友人の骨董のカリスマ坂田和実氏のために設計した美術館であろう。

中村氏のイラスト満載の本書は、建築の本来備えた暖かさを、まるで、人力飛行機を思い描くがごとく、建築という合理性、機能性、経済性と美しさの稀有なる合致をみせ、読者を至福の誘うのだった。

”無理もなく無駄もなく、必然によって生まれてきた姿と形は、本当に美しく、魅力的だと思うのです”

うなずくばかりである。


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Patisserie Sadaharu AOKI

Patisserie Sadaharu AOKI
有楽町の日比谷側出口の、ビジネス街と皇居の狭間に、ブランドショップが軒を連ねる。パリにも店をかまえるというPatisserie Sadaharu AOKIがここにもある。オフィスビルの1階ゆえに、外観は、貴金属店かと思わせるのだが、ケースに飾られた一品、一品は、日本離れした見事は色彩で、見ただけでも満腹になった気にさせる美しさを放っているのだった。

お値段も銀座価格であるが、その小ぶりな一品には、甘さが凝縮されてて、若干、日本人好みを越えた感もあるのだが、その10倍ぐらいのケーキを食べたかのような解放感にひたれてしまう。

ドイツ幻想文学作家の種村季弘氏が、闇市時代の砂糖がまだ、十分に市場にでまわっていなかったころ、悪友と結託して、喫茶店に行けばこっそりと砂糖を盗み取っていたという。彼等の妄想の世界では、まだ見たこともない中米の砂糖の精錬工場で労働者が足元に砂糖を撒き散らしながら砂糖の麻袋を運びまわっている。市民は珈琲を飲む時には、砂糖をカップからこぼれだすくらいに注ぎ込む。

おそらく、種村氏が徘徊した五十年前の有楽町では、そんな甘さへの願望がうずまいていた気がする。
砂糖工場の労働者は砂糖の地獄から解放され、どんなに甘い夢を見たのだろうか。Sadaharuaoki


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ガルブレイス氏

五月に入り、ガルブレイス氏の訃報とともに、同氏の名前と著作名で、アクセスいただく数が急増しました。新聞の訃報記事を読み返してみると、ケネディ政権でインド大使を務めたとのことで、まさに20世紀の世界経済を体感された巨匠であることがわかります。

あらためて、自分には、氏の業績と著作をレビューする資格は、もちあわせていないことを認識した次第です。

ただ、ガルブレイス氏を弱者を庇護した経済学者という、美しい言葉で語り終えてしまうメディアの言説には、いささかひっかかるものを感じました。世論が弱者の味方を求めているがゆえに、弱者の味方の経済学者として祭り上げてはいないでしょうか。

もし、バブル景気のまっさかりであったならば、市場原理に賛同しなかった、過去の人物として論じていたような気がします。

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臆病者のための株入門 橘 玲

臆病者のための株入門
橘 玲
文芸春秋 (2006/04)

バランス感覚と地に足のついた投資セオリー

黄金の羽根の拾い方で日常生活を、バランス感覚のとれた等身大の投資経済で観点でクールに説き明かした橘氏による株入門書。読者を煽ることなく冷静に、投資というギャンブルを分析しながらも、そのギャンブルとのかかわり方の実践まで、すっきりと披露した好著である。少なくとも本屋にいって、株入門書をあれこれと買いあさって、一つの流派にはまってしまったり、あるいは、異なる意見と情報の洪水に翻弄される前に、一読をお奨めしたい一冊である。

著者の用意周到な、論旨の展開は、ギャンブルに臨んで、頭に血がのぼっている読者をまず、十分にク-ルダウンしてくれる。例えば、こんな風に。

証券会社は長年、株はギャンブルという偏見と戦ってきた。そのため、これまで日本経済は間接金融によって支えられたきたが、これからは個人投資家が直接金融によって市場経済を支えて、社会を豊かにしていくという美談を喧伝する。誰でもわかる三段論法でいうと、ギャンブルはうさんくさい。株式投資はギャンブルじゃない。だから株式投資気はうさんくさくない。

この論法には、やはり、事実を隠微してしまうゆえに人々を納得させない。橘氏は、株式投資が、競馬や、宝くじとは比類ないギャンブル性を備えたものであることを、単純な計算でも自明であると説明し、次の三段論法であるはずと記す。

ギャンブルはうさんくさくない。
株式投資はギャンブルである。
だから、株式投資はうさんくさくない。

実のところ、橘氏は、単にうさんくさいものを対岸から批判しているわけではなく、まだ、インターネットで証券取引ができなかったころに、インターネットで米国の証券会社と先物取引の口座を開き、100万円頭金を1億円にすることにチャレンジしたことがあったのだった。橘氏が1ヶ月でその投資をやめたのは、損をしたからではなく、その値動きが気になって、夜もモニターから目が離せず、就寝中も仕事中も、今も暴落しているのではと強迫観念にとらわれてしまい、精神的にも肉体的にもまいってしまったからだという。橘氏のシミュレーションでは、氏の投資ルールどおりやっていれば、その1月先には2億円を手にしていたことになるが、その一方、その年末には、ポジションを清算していなければ、7億円失っていたことになるそうだ。

このような危うい経験と冷静な視点から、堅実な投資の実践として、人的投資と不動産(住宅)と世界市場ポートフォリオという視点でのお金の運用をささやかに提案する。

人的投資を、橘氏の切り口で説明すると、平均サラリーマンの生涯賃金を3億円、長期金利を1.5%とするとき、新入社員は2億円、50歳では1.6億円のサラリーマン債券を所有していると表現される。歳とともに、債券の価値が下がっていくのは”はたらく”という人的資本の価値が減っていくことに他ならないが、減衰の傾向が低いのは、年功序列の給与体系の表れほかならない。

さらに、橘氏は、冷静かつ現実的に、生涯で一番高い買い物である、住宅の購入が、本人は投資という意識がないながら、不動産投資というリスクをとる行動をしていることを指摘する。その上で、住宅ローンの負債をかかえながらの、ささやかな資金ベースでの数パーセントを利ざやを捻出するために、個人投資にやっきになっている行動の過剰反応を冷静に示すのであった。

橘氏の運用のお奨めは世界市場のポートフォリオである。ある意味、これは一番、リスクヘッジされた手堅い運用であろう。個別銘柄の上げ下げに一喜一憂することなく、日本の経済の好調、不調に依存せず、中国やインドならばもっと...と色気をだすことなく、過去20年平均年利5%の成長の実績があり、リスクとしては、最大、月20%減がある事を紹介している。

世界市場ポートフォリオの組み方、運用に関しては、運用を考える読者の選択・判断するの余地は、まだ、いろいろあると思われるが、個別銘柄の投資情報に翻弄されるよりは、よりマクロかる冷静な視点で運用を考えていく健全性を感じる。

著者の今後の著作活動も楽しみとするところである。

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アメリカの軽さと重さ あるいは実話としてのスティーブンキング 心臓を貫かれて 村上 春樹

心臓を貫かれて〈上〉
マイケル ギルモア Mikal Gilmore 村上 春樹
文藝春秋 (1999/10)
売り上げランキング: 12,326
おすすめ度の平均: 4.67
4 壮絶
5 この世でない世界からの言葉たち
5 安易な回答や感傷を拒絶する

アメリカの軽さと重さ あるいは実話としてのスティーブンキング

本書は、村上氏が在米時に、奥さんが読んでいた本を借りてみたら、衝撃的で、本書を翻訳するまでに至ったという米国史上に名を残す殺人犯ゲイリー・ギルモアの実弟による評伝の翻訳である。

村上氏は本書によって、人生が変わるくらいのインパクトをうけたとの事で、その追体験をすべく、大書ではあるが、読み出すと村上訳にものせられ、いっきに読みこんでしまう。

ソルトレイクという米国の美しい都市が、その表面の姿の裏の汚点として、ギルモアという人物を生みだした地霊であろうと、著者である実弟は、兄のひきおこした惨劇の理由を、その土地と短いながらもそこに住みついた祖先の血脈から原因を導き出そうと、緻密に事実を掘り起こしていく。

実弟マイケルと翻訳者村上氏の努力にもかかわらずといってよいのか、あるいは、それが著者や村上氏の意図するところなのか、ここにあるのはスティーブン・キングの小説でもなければ、殺人事件の理由を明確に浮かび出す評論でも研究でもない。

ただ、重苦しい事実だけがライトなアメリカの重さとして、読後感を引きずる。村上氏のように、読む前と後で人生が変わるという事はなかったのは、幸いかもしれないが、少なくとも、村上氏が初期の作品から、昨今の社会へのコミットメントのスタンスを見ると、村上氏が描きつづけた日常世界の中の闇は、こんなところにも、見つかったという印象が強く残る。

説明によって成立している近代に生きる我々にとって、この理由のない惨劇というものを、どこまで受けとめていけるかということを本書は、そしてゲイリー・ギルモアは、ほくそえんで読者に示している気がする。

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宝の地図 アースダイバー

アースダイバー
アースダイバー
posted with amazlet on 06.04.09
中沢 新一
講談社 (2005/06/01)
売り上げランキング: 127
おすすめ度の平均: 3.92
4 レイヤーで捉えるユニークな東京論
3 東京異形地図?
5 乾いたところ、湿ったところ。

宝の地図

中沢新一氏が捧げる本書は、現代の首都たる東京を、新石器時代(日本では縄文時代)の、温暖化のため、水位が現在よりも高く、東京の半分までが、海にうもれ、フィヨルド状の地形をなしていた地図にマッピングして、読者にスリリングな考察とビジョンを提示する。

縄文時代から遥かなる歳月をへて、江戸、明治の遺物と、天災、戦火によってスクラップアンドビルドされ、純然たる近代都市として設計された東京の細部の辺境に、新石器時代の影響を見ることができる。それは、過去から現在に至るそれぞれの時代ごとに、聖域であり、死のにおいの空間であり、古墳であり、墓地であり、神社仏閣であり、これらのスポットが見事に、新石器時代のフィヨルド状の海岸に臨んだ位置にあてはめられるのであった。

フィヨルドの入り組んだ海岸は、現在も川として、その地理的痕跡を残すとともに、沼、池などの水にちなんだ地名を今の時代にも残している。巻末に折りこみでつけられたこのフィヨルド状のマップは、まるで荒俣宏が収集した西洋の脳の解剖図譜のような、それだけでも、圧巻的な存在感でドキッとさせるに十分で、しばらくの間、マップから目を離すことができなかった。

中沢氏は友人に誂えてもらった、この新石器時代の地図を片手に、東京を東から西へと自転車でフィールドワークする。これが、沖積層の地表をもぐって、新石器時代の洪積層へとダイビングするアースダイバーのコンセプトと実践である。

長年。都市の散策を趣味の1つとしている読者としては、これは、素敵な宝の地図の贈り物である。確かに、街角を1つ曲がった、盲腸のような異様な感覚を感じるスポットを経験することは少なくなった。

中沢氏は、まさに、宗教人類学の類型として捉えられる、異界と現世との接点に異文化の衝突が発生する事を、新石器時代の海岸線の彼方とこちら側と境界に位置する都市のスポットをフィールドワークしていくのであった。

すでに、ネットワークの世界でも、アースダイバーの同好の士が、赤瀬川原平氏等の提唱した路上観察学会のように、活動をはじめているようだ。

想像力と検証の題材として、こんな素敵な贈り物は、インディ・ジョーンズでもなければ手に入れられないはずのものである。かのタモリ氏も、氏一流の感性で、坂道美学入門、なる本を上梓しているが、どうしても気になる坂道は、きっとアースダイビングのスポットになっているであろうと、波を待つサーファーの気分である。

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ダメな教師の見分け方 戸田 忠雄

ダメ教師の見分け方
ダメ教師の見分け方
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戸田 忠雄
筑摩書房 (2005/07/06)
売り上げランキング: 7,464
おすすめ度の平均: 3.75
5 かなり厳しい現実
1 他に誰かいなかったのか・・・
5 全ての人に勧める教育の書

トリックスター校長先生多いに語る

奇しくも、高校時代、インターハイをめざしていた部活動と公民の授業の恩師と同姓の名を目にして読んだ一冊である。ちょっと由緒ある「ちくま」には似つかわしくないタイトルのネーミングに、抵抗はあったが、内容は恩師の弁舌をおもいださせる、根源的ラジカル、毒舌あり、かつ、箴言にあふれた作品であった。

著者は、数少ない民間の教育現場経験者として、現在、内閣府の教育改革諮問の規制改革・民間開放推進会議の専門委員に抜擢され、いわば教育という聖域の構造改革に、力をそそいでいる。

著者とその委員会の主張は明確で、教育サービスを享受するユーザーである生徒と親が教員や学校を選択・評価するバウチャー制度の導入を精査しながら導入を提言している。

レビュアーは、過保護の時代に、PTAから教師への注文の多さには、教師の方々にシンパシーを感じるものであったが、本書での学校の実態を読んで、民間出身の辣腕実力者の校長先生が、なぜ、自ら辞職したり、自殺してしまったりするのか、その背景のいびつにゆがんだ学校空間に、校長役などの権限なく責任だけで、教育委員会及び文部省と教職員に板ばさみされた職務の、悲惨さには、自らの無知さを多いに反省させられるものであった。

本書のタイトルが、内容の品格にそぐわずにも、読者の目をひこうとするのも、無理はない。著者が言うには教育論は、出版事業としては、ペイしないとの事である。まず、教育の専門出版社はユーザーである教師の悪口を書くような本は出版できない。一般の教育熱心な保護者は、受験や教育に役立つ本は購入しても、教育論など興味をもたない。おまけに、教育現場の経験のない教育研究者は指摘な的をはずれていると。

企業という組織は、資本経済の上に成り立っているため、いくら組合が強くても、社長をつるし上げて、方針を潰していくなどという事は到底ありえない。ところが、教育という犯すべからず聖域では、第三者の権力介入もなく、(何しろ学問の自由・独立であるのだから)、いかに素晴らしいソサエティであるかと思えば、そうではないのであった。

当然の事であるが、現場の教師からの本書への反論ぶりは、予想できるところであり、いたる所で批判を目にすることができる。学校の現場を見たことのないレビュアーとしては、戸田先生が本書に克明に記した事実関係の記述を信ずるものとしたい。

著者の学校改革の奮闘ぶりの記述と共に、そのトリックスター的行動ぶりと、文書にちりばめられた古今の文献・警句にも多いに楽しむことができた一冊である。

霞ヶ関での著者の言論活動をインターネット上に見つけることができたので、あわせて記しておきたい。本書と変わりない歯に衣着せない弁舌ぶりが楽しめた。

http://www.kisei-kaikaku.go.jp/minutes/wg/2005/1012/summary051012-01.pdf

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貧乏クジ世代 香山 リカ

不思議な共鳴

精神科医エッセイストの香山リカ先生による本書は、日本経済の絶頂期やバブル経済の後に、社会人となった、団塊ジュニア層が、すでに終わってしまっていた楽しい時代と直面する経済の閉塞感に対して、生まれてくる時代が悪かったと、祭りの後のポスト・フェストゥム感覚を抱いているという、社会統計や自らの臨床経験に基づく、指摘の書である。

知る限り、これまでの著作では触れなかった自らの研修医時代や同僚や大学時の友人が、論文やエッセイでデビューしていく事に焦りや劣等感を感じていた事などにもふれ、一回り若い団塊ジュニアの世代が直面している現状と、著者が経験した社会的障壁に大きな差はないにも関わらず、嫉妬や劣等感をバネに行動することや、自分の生きている現実の社会で起きている問題に揺り動かされない無関心に、疑問の目を向ける。

不運の原因を精神世界の大衆化した血液型や占いに求めているのも彼等の類型と記す。

精神分析型の社会評論としては、雑誌への連載としてかみくだいて論じているせいか、切れ味鋭い一冊とまではいかないのだが、著者がとりあげる貧乏クジ世代の思考・行動には、違和感のない不思議な納得感を抱かせるものがあり、余韻の残る読後感であった。これも同時代に生きるゆえの共通感覚だろうか。

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世界は「使われなかった人生」であふれてる 沢木 耕太郎

世界は「使われなかった人生」であふれてる
沢木 耕太郎
暮しの手帖社 (2001/11)
売り上げランキング: 209,451
おすすめ度の平均: 4.25
4 映画好きには堪えられない
5 沢木にまさる映画評論はあるか?
4 映画評論集だが旅行記でもありルポでもあり...

ありえたかもしれない人生

本書は沢木氏の珠玉の映画エッセイ集である。若い頃から揺るぎない独自の観察力で、マニア向きという程ではないが比較的マイナー映画を、まるで、実在する人物の評伝のように、映画のあらすじをみずみずしく抽出し、そこに彼の観察眼による視点が一章ごとに、ささやかな人生論を余韻のように移り香のように、空間に放たれていく。

「使われなかった人生」とは、単に選択しなかった職業や恵まれなかったチャンスではなく、ありえたかもしれない人生として、まさに、読者に、一章ごとに「ありえたかもしれない人生」としてのヒトコマを、披露する。

巧すぎるタイトルに敬遠する読者にも、ささやかな装丁の本書をひもといてみれば、それぞれの章で紹介している映画が見たくなることと思う。

どれが貴方にとって、一番「ありえたかもしれない人生」だろうか。それは決して、すぎさった、他人の過の話に留まらない、未来の話かもしれない。

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環境問題のウソ 池田清彦

環境問題のウソ
環境問題のウソ
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池田 清彦
筑摩書房 (2006/02)

池田センセイが聖域を斬る

イデオロギーという正しさを追及する古典的論争がほとんどなくなった現在、環境問題を批判する事は、神聖犯すべからず領域であろう。その聖域に本業の構造主義生物学から出発し、科学批評とリバタリズムの毒舌軽妙なエッセイ活動に熱心な池田清彦先生が斬りこんだ一冊である。

本書で池田センセイが展開している環境問題の常識への批判の根拠は、池田氏のオリジナルな研究ではなく、さまざまなデータを引用して、コンパクトに批判をまとめあげている点と、世間や体制への反骨心と斜めに構えた毒舌が池田氏ならでは一冊になっている。

具体的な内容としては、地球の気温上昇とその原因とされるCo2の人為による増加という環境問題の常識から、さまざまな公のデータを引用して、平たく否定している。さらにはダイオキシンの体内摂取は圧倒的に、過去に散布された農薬による食物によること、生物の外来種の侵入が生態系の破壊させるという論理及びそれらをうのみにした立法の廃止を主張している。

物事が科学的な事象であるほど、検証データ、真理は1つ、絶対的正しさに立脚した「反環境問題」に、レビュアーを含む素人の読者には理解できない専門家からの否定論も強いことは予想できる。科学の答えは1つという前提ゆえ、人文系の論争よりも、譲れない、科学のパラドックスであろう。

レビュアーにも、個々の反証データが正確なものなのかはわからないし、他の著者の本であったならば、手にする事もなかったろう。科学のもつ反証可能性というオープン性だけが、議論を健全にさせると思う。

本書で引用されているデータにはインターネットで公開されているものも、多く、ブログで紹介するには適していると思われ、いくつか引用してレビューはここまでとしたい。あとは、興味ある読者に、おまかせ。

地球温暖化の証拠としての世界平均気温の変移の最も有名なデータ
■世界
http://data.giss.nasa.gov/gistemp/graphs/
■東京
http://data.giss.nasa.gov/cgi-bin/gistemp/gistemp_station.pyid=210476620003&data_set=1&num_neighbors=1

■反論データ:気象衛星NOAAが測った対流圏の気温(下記URLの最下部グラフ)
http://www.john-daly.com/

思うに、公害や過剰な消費という実感できる等身大のうしろめたさが、マクロな環境問題を提示されると、素直な反省を導き、素朴な市民のメンタリティが環境問題を支持しているのではあるまいか。

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ぼくらの鉱石ラジオ 小林 健二

ぼくらの鉱石ラジオ
ぼくらの鉱石ラジオ
posted with amazlet on 06.03.10
小林 健二
筑摩書房 (1997/09)
売り上げランキング: 88,491
おすすめ度の平均: 4.83
5 悲しきラジオ
5 工作が好きな人々のために。
5 モノづくりの原点

悲しきラジオ

著者の小林健二氏は造形作家である。レビュアーは著者の名を美術雑誌”みずえ”の澁澤龍彦追悼特集で、その異色の作品と共に、名前が記憶に刻まれた。著者の作品は単にレトロなサイエンスアートには留まらない。サイエンスとアートの稀有な蜜月がここにある。

コンピュータのマザーボードのジャンクを継ぎ足して現代アートと称するものは少なくないが、著者の作品の製作は、エンジニアも真似のできない、手業である。工作だけが目的なら、鉱石ラジオのような原始的な電気回路は部品があれば数分で完成してしまうのだが、すべて手作りとなれば話が違う。

著者は、国会図書館に通って往年の電子工作雑誌を調べ、見本もないところに、部品の製作から始めるのである。検波器を鉱石とピンで、そして、エアバリコン、ノブ、初期のラジオの中に見つけられるようなさまざまな手巻きコイル,あげくの果てにはクリスタルイヤホンまで、金属を削って、銅線をまいてと、丹念に作りあげるのである。

ここまで手間のかかったラジオが美しくないわけがない。効率的に工場で量産された消耗品と化してしまったMDコンポと比べると、まるで、ライト兄弟やリンドバーグの飛行機はかくの如き美しき手作り品ではなかったろうかと思いを誘う。

少年が一人、ラジオの検波器を握り、遠く彼方からの電波をさぐるイラストに、なくしたものを見つけた気にさせた。

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コンスタンティノープルの陥落 塩野 七生

コンスタンティノープルの陥落
塩野 七生
新潮社 (1991/04)
売り上げランキング: 7,786
おすすめ度の平均: 4.79
5 2通りの体験
4 教科書1行の真相
5 実況レポートのような歴史物語

甘美な映画のような戦争絵巻

ライフワークの超力作「ローマ人の物語」で読書界では不動の地位を得た塩野七生氏は、外国人であっても、自国民以上に、その国の研究を成し遂げうることを、我々に強く示した。その塩野さんの初期作では、ベネチアの物語と本書の含むエーゲ海三部作が秀逸である。

本書は東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルがオスマントルコの若き皇帝マホメッドにより陥落する戦争を克明に描いた甘美な歴史絵巻である。500年前の歴史が、まさに映画のようにビジュアルに浮かびあがってくる、その記述とプロットの技は巧である。

読者には、あまりのリアルさに、原書の翻訳か、リメイクではないかと思ってしまうが、エンディングに至って、舞台裏を見せるが如く、登場人物の出典が、それぞれ歴史上の文献から、塩野さんの緻密な資料調査で、選びだされ、魂をこめられて、あたかも目の前の生身の人間のように描かれたことに再度、感銘をうけるであろう。

複数の主人公が一人、一人、離れた地で登場し、敵・味方・中立の証言者として、コンスタンティノープルに集結し、クライマックスへと突入していくストーリーは映画のように読者をひきつける。近代戦史のような苦渋に満ちた壮絶さはここにはないが、それは時間がそうさせるのか、読者にとって救いなのか。半世記では答えはでないが500年たって答えがでるものもあるような読後感を持った。

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突破者―戦後史の陰を駆け抜けた50年 宮崎学

突破者―戦後史の陰を駆け抜けた50年〈上〉
宮崎 学
幻冬舎 (1998/12)
売り上げランキング: 51,236
おすすめ度の平均: 5
5 全共闘悪漢小説 半生記
5 たちまち宮崎学の大ファンになりました
5 戦後の激動の時代を、仁侠魂で生き抜く男の前半戦!

全共闘自伝悪漢小説

久しぶりのパンチの効いたノンフィクション。いまや、裏社会と反体制思想の経験に基づいた異色の評論活動をしている宮崎学氏。かつては、グリコ森永事件の重要参考人として警察の容疑者候補の本命とされた彼の半生記自伝のノンフィクション悪漢小説。火のない所に煙はたたないのもよくわかる。著者の顔を見ればインテリやくざとはこういった人なのか、一見して納得する。経験は顔に露呈するものだと思う。京都のやくざの跡継ぎとして生まれ、若衆に囲まれアウトサイダーのトレーニングのような幼年時代を過ごし、早稲田大学時代は共産党の分子として、警察、公安、全共闘と抗争し、その後、稼業の解体屋の後継ぎにもどる。

ところが解体屋の経営は倒産寸前で、そのやりくりのため法律違反すれすれの悪いことを数々。バブル時代の地上げ代行も手がけ、発砲され入院したことも。警察から目をつけられ、グリコ森永事件の重要参考人として逮捕寸前までいった。事実は小説より希なりという一例か、昨今はフィクションよりもノンフィクションの悪漢小説がおもしろい。

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久世光彦  一九三四年冬―乱歩

一九三四年冬―乱歩
一九三四年冬―乱歩
posted with amazlet on 06.03.02
久世 光彦
新潮社 (1997/01)
売り上げランキング: 79,447
おすすめ度の平均: 4.75
5 中年男の官能に静かな火をともす
4 乱歩以上に乱歩
5 香り、匂い

昭和の色気と気品

また、一人、敬愛する作家が世を去った。名前は著名でなくても、新聞記事を目にすれば、年輩者ならば誰でも知っている人物、TVプロデューサー久世光彦氏。「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」の演出をてがけた人物である。

これらの名物ドラマにも、おだやかに、したたかに、久世氏好みのレトロな昭和の甘美さをしこませていたが、演出家を辞めてからの晩年は、やりたかった事を我慢していたかのように、幻想小説、エッセイを精力的に執筆していた。

本書は、まさに、幻想文学の1つのモチーフの類型の如く、小説の主人公が怪奇小説の江戸川乱歩という設定である。スランプに陥った乱歩が、行方をくらました先で次々と出会う、甘美な人々との出会いという迷宮である。

乱歩もまた、世間の要望に応えて、大衆向けの娯楽怪奇小説を大量に執筆したが、マニアの好みはマイナーな初期の短篇の奇譚集であった事が、久世氏の創作活動と重なって幻惑を感じる。

思うに、田舎育ちのレビュアーにとって、東京の旧家、良家に育った作家には独特の審美感を感じる。それは、澁澤龍彦氏に代表され、事故氏した景山民夫氏であり、久世光彦氏であった。

久世氏のマイナーな作品としては昭和幻燈館もお薦めである。

向田邦子氏脚本とのゴールデンコンビのドラマはDVD化されているとのことで、こちらもぜひ観賞したいと考えている次第である。合掌。

向田邦子X久世光彦スペシャルドラマ傑作選(昭和57年~昭和62年)BOX
レントラックジャパン (2005/09/22)
売り上げランキング: 6,025
おすすめ度の平均: 4
4 向田邦子X久世光彦X田中裕子

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乃木希典 福田 和也

乃木希典
乃木希典
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福田 和也
文藝春秋 (2004/08/26)
売り上げランキング: 62,574
おすすめ度の平均: 4.33
5 組織論における「賢」と「貴」
3 弱さと有能のなさの象徴としての考察
5 乃木の不在が日本の低迷である

人徳と現代日本を考えなおしてみる

気鋭の評論家、福田和也が上梓した本評伝は、予想外にも、乃木希典であった。

乃木大将の一般人の認識は日露戦争で活躍した日本軍大将。司馬遼太郎氏は「坂の上の雲」の中で乃木氏は大将の才覚はなく、盟友の児玉源太郎に助けられて、攻撃の失敗の繰り返しで屍累々だった二百三高地を攻略してもらったと、乃木神話を否定した。その後、司馬氏の乃木論には賛否の議論が続き、現在に至っている。

無能で物資の補給もなかった当時の弱い日本の象徴であった乃木希典に福田氏は再評価を試みる。

レビュアーは福田氏の良い読者ではないのだが、著者は乃木の生涯を検証することで、完璧な人格と徳の人であろうとした人物として乃木の歴史上の意義を考察する。レビュアーにはこの考察が、若干ボリュームに欠ける面も感じ、十分には納得、理解はできなかった。

ただ現在の日本も世界経済、外交で弱さを露呈し、ベストセラーでも徳という言葉が1つのキーワードになっている時代性の中で、現在、乃木氏を語ることには何か、ヒントがある気がする。それは決して、乃木氏が明治天皇に殉死した事を肯定するわけではないのだが。

何か共通のヒントとして表紙の凛として洒脱だった彼の肖像とともに心に残った。

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修羅場の鉄則 起死回生のマネー哲学

修羅場の鉄則 起死回生のマネー哲学
木戸 次郎
スパイス (2004/12/02)
売り上げランキング: 69,498
おすすめ度の平均: 4.5
5 分かり易さ
3 修羅場のマネー哲学と比べると...
5 痛快で面白かった


"修羅場のマネー哲学"と比べると


"修羅場のマネー哲学"で一億五千万円の借金を完済した著者のエピローグとも言えようか。
その後の投資会社経営の半生記のストーリーである。

借金返済の燃え尽き症候群状態であった著者に、次なる災難が降りかかる。実父が経営に関わっていた投資コンサル会社が火の車状態。著者は再び、修羅場の世界に入ることになる。これはもう因果か業としか思えない。

会社を再建のための事業の建てなおしは、やはり、骨身に染み付いた株の投資運用事業となってしまうのだった。
一億五千万円完済時には昔のお得意さんに損の場合のペナルティなしというリスクヘッジされた技を使ったが、今回はフェアな株式市場での勝負である。狙いをつけた銘柄はソフトバンク、セガ等、専門家でないレビュアーから見ても、他人の逆をつくというよりは、公に公開された情報を元に、著者の動物的感で決めた個別銘柄への投資であり、当然ながら時には損もあり、修羅場のマネー哲学ならではのカリスマ的な先見の明という印象は薄い感がした。

現在も、著者は投資運用会社を営んでおり、著者の投資家としての持論の正しさは、運用の業績が明らかにしていくことであろう。

著者の顔写真を見て驚いたのは、その実年齢を予想させない風貌であった。修羅場の世界をかいくぐって来た男の顔という、大きなインパクトを率直に感じさせた。

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アナーキズム―名著でたどる日本思想入門 浅羽 通明

アナーキズム―名著でたどる日本思想入門
浅羽 通明
筑摩書房 (2004/05)
売り上げランキング: 124,693
おすすめ度の平均: 4.09
4 現代の視点からのアナーキズム
5 アナーキストたちへの共感とツッコミ
5 シュールなアナキズム

思想オタク浅羽氏の変貌を感じる

80年代後半のニューアカディミズムブームの終焉期、浅羽氏は見えない大学本舗主催、ニセ大学マニュアルの著者として思想界、読者の前にオタク世代の思想家として登場した。

振り返ってみれば、一歩先ゆく同好の士であり、同時代を共有した感を強くもつ。

デビュー初期にはまさにオタクといえるくらい思想を中心とした学問、書籍を紹介を行い、大学のつまらない講義を払拭するように学ぶ事の楽しさをニセ学生マニュアルで唱え、続編ではその読者や著者自身に対して、書籍に没頭している様をオタクと自分自身を含めて批判していた。

ニューアカ以降の浅羽氏の著作活動は明確には把握していなかったが、本書によって浅羽氏が思想オタクからの自ら思想を生み出している変貌を感じた。

本書の内容はアナーキズムをキーワードに著名人としては大杉栄、超難解な伝説の埴谷雄高、農本コミュニズム、キャプテンハ―ロック(アニメを必ず取り上げるのが著者らしい)笠井潔の無政府資本主義まで、一見バラバラな思想家をとりあげて、共産主義崩壊の世界の中で、自由と反権力という永遠のテーマを近代日本思想史としてまとめあげようとしている。

浅羽氏にとっても本書はアナーキスト列伝としてまとめた形となっているがが、近代日本思想史の草稿ノートの感もあり、今後の展開を期待したい。

注釈ノートにはマイナーな思想家、著作家が大勢でてきて、さすがに蛸壺の専門学者を凌ぐオタクぶりは健在である。

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僕の叔父さん 網野善彦 中沢新一

僕の叔父さん 網野善彦
中沢 新一
集英社 (2004/11)
売り上げランキング: 8,763
おすすめ度の平均: 4.27
5 入門書として最適
5 中沢新一の作り方
5 網野先生と中沢家の三代にわたるコラボレーション

中沢一族の土壌から生まれた網野史学

中世民衆の研究から、日本の歴史学を民衆の視点で再構築した故網野善彦氏の、甥である中沢新一氏による網野歴史学の成立の過程を記した追悼の一冊。

中沢氏も初期の著作の中で、在野の民俗学者であった父(厚氏)の事や叔父にあたる網野氏の事に言及していたことはあったが、それは単に記した程度であった。個人的にも友人が自分の友人の父が網野氏であって、中沢氏との関係を聞いていた。

本書では、中沢新一氏を生み出した研究者を連ねてきた中沢一族と、そこに義兄弟として関わるようになった網野氏と中沢親子、さらに別の叔父にあたる精鉄氏の研究者、護人氏等による知的なディスカッションの中から網野史学が生まれた事がよくわかる。バタイユ、レヴィ・ストロースから戦前の日本の歴史家の名前が次々とでてくる親子、親戚の会話など、なかなか一般庶民の親族の集まりではありにくい話であるが、まさに中沢一族という甲州の肥沃な土壌が網野氏学を確固たるものにしていく過程が客観的に記述されている。(著者本人が本書は、将来、網野氏の評伝を手がける方がいれば、その参考になるようにと、よく覚えているものと、感心するほど、親族の会話を正確に記述している)

中沢一族が網野氏を生み出すとともに、網野氏が中沢新一氏の思想の大きなバックボーンとして支えになっていたこともよくわかる。中沢氏の評価はともかく、網野氏の評価も、学会という保守的な組織の中では、十分に理解されていないことも意外ながら本書で知った次第である。

かつて、東大教授であった西部邁が中沢氏を教授に推薦し、教授会では採決されず、辞任した事件から察するように、学者の先生たちは、自分の理解できないものを客観的に評価する能力は持ち得ないのであろう。

中沢氏の著作は、デビュー当時から論文ならぬ散文調であり、論文数重視の学会の評価は図るべしである。

本書で著者が述べたように、網野善彦氏と中沢新一氏は中沢一族のコラボレーションと言えよう。

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